2014年4月24日木曜日

就職活動を終えて -2-

3月。殆ど東京にいた。誕生日も初めて東京で、しかも一人っきりで迎えた。笑
こんな誕生日もなかなか無いので、いい経験かなと!
研究室が私以外の殆どのメンバーで旅行行っている中でも、就活!
就活やれるのも今だけだし、と思って。
旅行なら後でいくらでも行けると。頑張ったなあほんと。
面接がいよいよ始まって、身の入る企業とそうでない企業に差がついてきた。
あんなに行きたかった鉄道会社と不動産会社に、疑問が浮かんだ。
というのも、なぜ私がそれまで盲目的になっていたのか皆目見当着かないのだけれど、
「デザイン」「アート」から離れた職につくことが私にとってベストなのかと考え直した。
それは、ある友人3人との出会いがきっかけだったかもしれない。
ディスプレイ・空間デザインの業界を目指す彼女らと情報交換を交わしながら、自分が大学3年生の頃に最も魅力的に感じていたその業界をもう一度見つめ直していた。
そもそも、大学で芸術学を学んでいて、それはそれは熱心に勉強していて、その中でデザイナーやアーティストの創り出すものを需要のある場へ、人へ、結びつけることにやりがいを感じていたのではないかと思い起こして。
これまで「リノベーション」でワクワクしてきた場も、その空間デザインやクリエイティブな活動に惹かれていたのではないか。
 デザイン、アートから離れることは私にとってベストではない。
と、本当に、やっとそこで、気づくのでした。


イオンモール幕張新都心に行った時の写真。
「体験型SC」とは何ぞやと思い。何でも気になった場所には足を運ぶ私の特性。
ディスプレイ・空間デザインの世界に行きたいともう一度決心し直してからはもう、突き進むのみ。
というか、鉄道会社はことごとく落ちた。肌に合っていなかったのだと体感。
だって、「人の生活を支える仕事がやりたい」と大枠で話す学生が多い中、私のやりたいことはピンポイントすぎて。
鉄道は何でも、幅広く、まじめに取り組める人が向いているんだと思います。
私は、仕事の幅は狭くても、好きな物事にまつわることを楽しくやっていたい。
そういう性格は自覚していたはずなのに、盲目的になっていたのは振り返ると恐ろしい。
それもこれも、早くから就活に真剣に取り組んでいたからこそ気づけたのだと思います。

あと、いいともの最終回、新宿アルタ前で見届けました。笑


4月。詳細をつらつら述べたいところですが、企業が特定されるのもよろしくないので、内々定を頂けた!とだけ。
本当にありがたい話です。夏頃には「めちゃくちゃ行きたい!」と心底思っていたディベロッパーからも頂けましたが、やはり私の結論は、ディスプレイ・空間デザインでした。
都市計画業務を行うような会社からもお声がけを頂いて、そういう道もやはり面白そうだなと魅力を感じつつも、決心は揺るがず。
東京で、空間デザイン(+広告)の世界で、懸命にやってきますっ。
きっときつくて大変なことは多いだろうけど、会社自体を愛せそうだったので、頑張れるかなと、自分を信じて!

就職活動は、自分に嫌気がさしたり、自信をなくすものだと思っていました。
でも現実にやってみると、私としては自分という人間を見つめ直し、結果として自信を身につけることができた素晴らしい期間だったなと思い返すわけです。
とにかく“自己分析”とやらを必死にやったのは無駄じゃなかったな。
2、3ヶ月近く、それはそれは頭を悩ませて考え尽くした。
何人もの友人に尋ねて、整理して、いや違うと修正かけて、無限に思えたな。
でも面接を重ねるうちに「これしかない!」って自分なりのアピールの方法を見出して。
この自信はこれから先も必ず私という人間を強くしてくれるでしょう。

そんなこんなで、あと1年は研究(と遊び)に没頭するのみ!
せっかく親が認めてくれた+αの2年間、思いっきり充実させねば!!

就職活動を終えて -1-


就職活動を終えて。
本当に長い時間をかけて、頑張り過ぎってくらいに頑張った。
心配性な性格も相まって、正直なところ必死過ぎた気がする。笑
でもそれらひとつひとつのがんばりが結果に結びついてるのかもしれないから、
無駄なことはひとつもなかったのかもしれない。

振り返れば、大学三年生の頃。
空間デザインの企業で就職活動をするか、美術をもっと勉強するか迷っていて。
そのヒントを得られればと、親に頼んで、東京10日間自分探しの旅(?)をしたことは本当に印象深い想い出。
10
日間の中で、公共空間をデザインする企業に訪問させてもらったり、都内の美術館・ギャラリーを約60箇所まわったり、滞在する神田のウィークリーマンションで観ていたスマステのSMAP20周年記念企画がきっかけで森くんにハマったり(今でも憧れの人物として気持ちは変わらないから凄い)。

結果として、もう2年勉強する道を選んだ。
ただ、学芸員やギャラリストになって美術を極めたいって思いとも違った。
まだ何が本当にやりたいのか、迷いがあるから勉強するっていうある種の逃げだったかもしれない。
その中で、河原町や、紺屋2023、デザイニング展、リノベーションスクールなどのプロジェクトに参加していくうちに、「リノベーション」という空間に関心が強まった。
アートを際立たせる空間として。街づくりの課題解決の空間として。
なぜリノベーションは、デザイン的にも、ツールとしても魅力的なのか。

それからは不動産や建築、都市計画の目線から勉強したい思いが募って今の大学院へ。
だから、就職活動も最初は不動産ディベロッパーや鉄道会社を中心に見ていた。
今まで納得いく道が分からなかった進路先も、ディベならしっくりくると思った。
街づくりがやりたいんだって、一種の思い込みに近かったと今は思う。

夏休みはインターンシップへ。関東の鉄道会社に5日間。
沿線を実際に巡って社員の話聞いてグループワークして、刺激に溢れた日々だったし、関東の学生は新鮮だったし、何よりこれこそ私のやりたい仕事だって思った。
そこで出会った人事の方が、まさかの高校の先輩で、とんでもない縁を感じたりも。
会社が用意してくれたホテルからの風景。


それから10、11月はちょくちょくOB訪問やらで、月1で東京に。
ディベロッパー、不動産関連の会社の先輩ばかりに会って。
皆さんほんとーーーに優しく接してくれたなあ。
私ももし今後声をかけてくれる後輩がいるなら、温かく迎え入れようと思った。


東京の川は汚いけど、こういうジャンクションと組み合わせた風景は好き。
いよいよ12月になって、全国的に就職活動がスタートした時、
バイトの件で精神ぼろぼろだったな。笑
ほんと、なんだったんだろう。私はこれまで、思い切って自分の意志で選択してきたことに後悔したことは殆どなかったけど、あの経験だけは、後悔ばかりが染み付く。
もちろん私のせいで迷惑をかけたのは明白で、就職活動に関する認識の違いを働く前に明確に確認しなかったのが悪かった。
経験してみたい、って軽い気持ちで挑戦するのは、時に危険なのだと知った。
周りのみんなにも沢山相談して、心配かけてしまったなあ。
なんやかんやで、12月は、一度だけ東京に行って合同説明会や社員訪問などを。
合同説明会は今思えば、行かなくても良かったな…。
というのも、不動産・鉄道・ディスプレイ業界のブースばかり見ていて、
後々単独説明会に行った会社ばかり訪問していたから。
合同説明会は、全然興味ない分野のブースに行って見解を広げる目的で行くのがいいのかもしれない。
私はもう少しそれをやってみても良かったかも。
視野を広げすぎるのも研究が浅くなって危険だけど。

1月。やっとの思いでバイトを卒業して。3週間ほど、東京に滞在。
ずっと先輩のお家にお世話になっていて、もう本当に、感謝しきれない!
この頃は1日3件くらい説明会に参加した。
説明会に参加する前の時点で「この会社はないな」って切れなくて、とにかく行きまくったな。多分合計40、50社は行ってる…。
ベンチャー企業も見ていたのがもはや懐かしい。
それもこれも心配性だから。やれるだけやっておかないと気が済まなくて。
心配性というか、自分に自信がなさすぎて。拾ってくれる会社があるのかと。

2月。ESラッシュ。これまた30、40社は出したかな。
ES通過率は高い方だと思うけど、ここはいけるやろ!なんて思ったところから落とされて引きずったりも。
ES地獄がもしかしたら一番きつかったかも。腰まげて。頭カッカして。
2週間くらい福岡でゆっくりできて心底和んだ。
お湯に浸かれる幸せ、ご飯が待っている幸せ、ベッドがふかふかの幸せ。
2月後半からは面接も始まって、いよいよだなって感じがした。
緊張感が高まってきた。

次に続く。