2016年12月29日木曜日

SMAP解散に寄せて

2年以上空けての投稿になります。
自分の気持ちをどこかに、綴らずにはいられず。
気持ちの整理は未だつかないけれど、
現実は確かに迫り来るわけで、
自分のこのもやっとした、喉につっかえるような、
雪だるま状にふくれてきたであろうやり場の無い感情を一度吐き出します。




あのころの未来に僕らは立っているのかなあ・・
全てが思うほどうまくはいかないみたいだ


きっとこの先も、何度も何度も反芻して、
過去を振り返るときも今を客観視するときも
頭に流れるSMAPの楽曲の数々。

5年数ヶ月前までは、私にとって、こんなに影響力をもってはいなかった。
神田駅から徒歩7分くらいの距離にある、
ウィークリーマンションの一室で。
初めての東京一人旅行、心細さに押し潰されそうになっていた時。
お風呂に入ろうとした土曜の夜、
スマステから流れ出したSMAPのメドレー。
20周年を記念した過去映像放出の特集だった。電撃が走った。
あれ、この曲も改めて聴くと歌詞もメロディーもいい、
この曲なんて皆眩しいくらいに、麗しいくらいに格好いい、
なんだろう、すごくエネルギーが湧いてくる。
メンバーの中でもこれまであまり目にしなかった森くんの姿が印象に残ったりなんかして。

次の日、渋谷だったかな・・ブックオフに駆け込んでベスト盤を購入。
東京滞在中、ずっとずっと聴いていた。
それからは過去の動画を漁って、
写真集を借りたり写真を集めたりして、
音楽にもどんどん詳しくなって。
この5年間、一度も飽きることなく、ずっとSMAPの音楽に背中を押されてきた。
なんだろう、歌が下手とかアイドルって歳じゃないとか、
批判的な意見も笑えちゃうくらい、SMAPって絶対的な存在で、
そんなアイドルが世間で絶大な影響力をもっているっていう事実が
どれだけの人の価値観や芸能界への印象を変えていったんだろうって想像力の範疇を超える。

とにかく、
自分の夢を、進むべき道を、迷っては一歩一歩挑戦を重ねながら、
これでいいんだよね、いいだろうか、きっと大丈夫だ、と確認をしていた
不安定な時期の私が、SMAPを再認識して、好きになれたことは
人生において存在感の大きな出来事だった。



だから、
東京の、
都会的な、
煌びやかな景色と、
カリスマをもった彼らの活動と楽曲は、
私の夢に邁進するイメージと、切っても切れない関係にある。



冬の表参道、イルミネーションの光に立ち止まって流れるのは夜空ノムコウ、
朝の通勤途中、冴えない表情の自分をガラス越しに見てしまった時に
聴きたくなるのはがんばりましょう、
仕事でミスをして自信を失っている時に聴きたくなるのは俺たちには明日がある、
退勤後アドレナリンが収まらない状況で人ゴミに揉まれながら
なんだか”仕事を終えた自分”に酔いたい時にはたぶんオーライやLet It Be、Peace!、
華金の夜に街に繰り出す時にはSHAKE、たいせつ、
恋愛で気持ちが温かくなっている時にはしようよ、
夜の都会の街並を眺めながら時間の流れと分断されたような気持ちの時にはどんないいこと・・・



挙げたらキリがないんだけれど。


そしてこれはきっと、これからずっと、変わらない。
いつか東京の街を離れたとしても、
自分の働いた道程と、このイメージは、切り離せない。

誰にも分かってもらえなくてもいい、
自分の中でこれだけ大切な存在ってこと、
解散しようが、もう過去の映像と音楽でしか5人揃っている姿を見れなかろうが、
簡単に取って代わる存在なんているわけないから。

そういう形で、私なりの形で、ずっとずっと大好きです。
SMAPという存在が、音楽が、パフォーマンスが、一人一人のアイデンティティが。




復活を期待しないわけなんてない。
世間から見てどんなにかっこわるくても、
バッシングを受けても、
どんな形であれ復活してくれるならなんだっていい。

生まれてからの25年間、
SMAPがいなかった時間なんてひとときも無いんだよ。
何年だって待つから、いつかきっと。

















2014年7月29日火曜日

タモリさんのユルい名言に痺れて。

私の大好きなタモリ語録のひとつ。
「人生とは後悔する為に過ごすものである」。
この言葉を今日、ふと久しぶりに目にして、どうしても書き留めておきたく、ブログを久々に書くに至りました。
この言葉で私の中に積もり積もった無念や悔しさや心苦しさが、少し救われたような気が、しないでもない。後悔ばかりの人生ですが、たぶんあの時その時異なる選択をしていても、結局別の後悔をしていると思う。
そうやって、後悔するのが当たり前って捉えると、どんな選択をするのも恐れないでいられるし、過去の後悔を理由に自分を責めなくて済む。
タモリさん、これだから大好きなんですよ。

また別の語録に、
「前を向いて歩いてたって、つまんないよ。後ろを振り返ったほうが『あれが楽しかった』って楽しいよ。」
っていうのがあって。辛い過去を反省したって暗い気持ちになるだけで正直何にもならないと思うけど、楽しい過去は、何度でも振り返ったって損にはならないはず。

というわけで。最近熊大時代を振り返ってセンチメンタルになることが心なしか増えてきた気がするので、今日は思う存分ここぞとばかりに振り返ってやろうと思う。

こんな状態なのはたぶん、先週末に久しぶりに大学を歩いたからだろうな。
ぴーーーーんときた思い出のある生協前。
自販機の横を通り過ぎた日陰に、いつも法学部の喫煙者が溜まってましたな。
人気の無い休日、ジュースを買ってぼけーとしたこともあるし、放課後に待ち合わせをしたことだって数え切れないし、たまたま会った友人と立ち話することも幾多もありました。

振り返ってみると特に、1限がまだあった頃が懐かしくて、恋しい。
8時ぎりぎり位に起きて、急いで洗濯物回して、適当にご飯食べて、チャリで5分くらいダッシュして、学科の皆がいる教室に駆け込んで。
昼は北食や、たまーにフォリコでランチして。入学したての頃はセンターサークルで食べることもあったな、大量の虫がうざったいのに。
授業の合間は食堂でアイスやお菓子を食べながら課題したり、とりとめもなく話したり。
3年生からは、授業も少なくなって、それまで仲良かった子達と研究室もばらばらになっちゃったし、ワイワイ食堂で話すような機会がグッと減って、凄く寂しい思いをしたのはどうやっても忘れられない。
結局は、研究室の子達との出会いもとてもとても大切なものになったけれど。

そして何よりサークルの思い出は語り尽くせない。
久しぶりにボックス前行きましたよ。あいかわらずきったない。きったない半壊のソファーも、消化器の上の時間割も、扉に貼られまくった謎のステッカーも、そのまま。
そして私がいつだか置き忘れていた、いきものがかりのスコアがきちんと棚にあって、心底喜んだ。しっかり持ち帰りました。

ここで深夜、22時を越えて灯りも消された真っ暗の中、お酒を片手に語ったこともあったな。2年生くらいまでは、暇さえあればここに来て、そしたら誰かしらいるから楽しく話して、練習中のバンドを覗いたり、時には居合わせたメンバーでちょっと出かけたりして。
本当に暇を極めていた時期は、ボックス前に居すぎて「ボックスの守護神」の肩書きをいただく寸前だった。気がする。いやいただいてたのか?はっきりとした記憶はない。
ここで楽しい思いも嫌な思いもいろっいろ経験しました。
最初、ほんっとに一番最初、ずらーーーーってサークルの新入生と先輩たちがここに集まった時に、この中の誰かと付き合うことになるんかなーーとか見渡しながら考えてたの思いだす。笑
生協の食堂前のベンチから。この風景も好きだった。
ひどいときはチャリがずらーーーって並ぶけど。お昼時はずらーーーって人であふれるけど。誰も聞いていない熊粋祭実行委員の演説はもうやってないだろうな。今は紫熊祭だし、メンバーの雰囲気もガラッと変わったし。
左手奥の自販機横ではまた、法学部生が煙草吸ってるんだよな。ガラ悪いな〜なんて1年生の初期思いながら見てたけど、結局その半数以上が友達になってる。笑

ほかにも数え切れない思い出が次々に頭に浮かび上がってくる。
稀に工学部棟に授業で行く時のワクワク感だったり、毎週心待ちにしていた月曜日の部会、この道を行けばあの人に会えるかな!と考えながら歩いた廊下(わりと乙女)、夜中に忍び込んだプール、空き時間を見計らってバスケした体育館、緊張しながらも演奏しきったホール、特等席を決めてた図書館、明かりがついてると喜んで扉を開けた芸術学研究室、よく感傷に浸りながら歩いてたグラウンド横の並木道…

あー熊大大好きだわ。今になってみれば。
どれだけ青春しとったんや。思い出補正はあるにしても、輝いとるわ。

つらつらと思い出を綴ってしまいましたが、今を楽しまないと、とも強く思います。せっかくまだ学生の時間をいただいていて、新たな仲間と新たな場所で新たな勉強をできているのだから、たった2年間といえど熊大4年分に負けないくらいの思い出をつくらねば。
といいつつ、その2年間もあと半年近くで終わりを迎えるわけですが。結局、中途半端に、どの風景も思い入れが無く卒業してしまいそうなんて正直な気持ちは抑えて、これからもっともっと、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います(常套句…)

たぶん、居た時間は短くても、思い出深い出来事はなくても、結局は懐かしむ場所になるだろうから。

2014年4月24日木曜日

就職活動を終えて -2-

3月。殆ど東京にいた。誕生日も初めて東京で、しかも一人っきりで迎えた。笑
こんな誕生日もなかなか無いので、いい経験かなと!
研究室が私以外の殆どのメンバーで旅行行っている中でも、就活!
就活やれるのも今だけだし、と思って。
旅行なら後でいくらでも行けると。頑張ったなあほんと。
面接がいよいよ始まって、身の入る企業とそうでない企業に差がついてきた。
あんなに行きたかった鉄道会社と不動産会社に、疑問が浮かんだ。
というのも、なぜ私がそれまで盲目的になっていたのか皆目見当着かないのだけれど、
「デザイン」「アート」から離れた職につくことが私にとってベストなのかと考え直した。
それは、ある友人3人との出会いがきっかけだったかもしれない。
ディスプレイ・空間デザインの業界を目指す彼女らと情報交換を交わしながら、自分が大学3年生の頃に最も魅力的に感じていたその業界をもう一度見つめ直していた。
そもそも、大学で芸術学を学んでいて、それはそれは熱心に勉強していて、その中でデザイナーやアーティストの創り出すものを需要のある場へ、人へ、結びつけることにやりがいを感じていたのではないかと思い起こして。
これまで「リノベーション」でワクワクしてきた場も、その空間デザインやクリエイティブな活動に惹かれていたのではないか。
 デザイン、アートから離れることは私にとってベストではない。
と、本当に、やっとそこで、気づくのでした。


イオンモール幕張新都心に行った時の写真。
「体験型SC」とは何ぞやと思い。何でも気になった場所には足を運ぶ私の特性。
ディスプレイ・空間デザインの世界に行きたいともう一度決心し直してからはもう、突き進むのみ。
というか、鉄道会社はことごとく落ちた。肌に合っていなかったのだと体感。
だって、「人の生活を支える仕事がやりたい」と大枠で話す学生が多い中、私のやりたいことはピンポイントすぎて。
鉄道は何でも、幅広く、まじめに取り組める人が向いているんだと思います。
私は、仕事の幅は狭くても、好きな物事にまつわることを楽しくやっていたい。
そういう性格は自覚していたはずなのに、盲目的になっていたのは振り返ると恐ろしい。
それもこれも、早くから就活に真剣に取り組んでいたからこそ気づけたのだと思います。

あと、いいともの最終回、新宿アルタ前で見届けました。笑


4月。詳細をつらつら述べたいところですが、企業が特定されるのもよろしくないので、内々定を頂けた!とだけ。
本当にありがたい話です。夏頃には「めちゃくちゃ行きたい!」と心底思っていたディベロッパーからも頂けましたが、やはり私の結論は、ディスプレイ・空間デザインでした。
都市計画業務を行うような会社からもお声がけを頂いて、そういう道もやはり面白そうだなと魅力を感じつつも、決心は揺るがず。
東京で、空間デザイン(+広告)の世界で、懸命にやってきますっ。
きっときつくて大変なことは多いだろうけど、会社自体を愛せそうだったので、頑張れるかなと、自分を信じて!

就職活動は、自分に嫌気がさしたり、自信をなくすものだと思っていました。
でも現実にやってみると、私としては自分という人間を見つめ直し、結果として自信を身につけることができた素晴らしい期間だったなと思い返すわけです。
とにかく“自己分析”とやらを必死にやったのは無駄じゃなかったな。
2、3ヶ月近く、それはそれは頭を悩ませて考え尽くした。
何人もの友人に尋ねて、整理して、いや違うと修正かけて、無限に思えたな。
でも面接を重ねるうちに「これしかない!」って自分なりのアピールの方法を見出して。
この自信はこれから先も必ず私という人間を強くしてくれるでしょう。

そんなこんなで、あと1年は研究(と遊び)に没頭するのみ!
せっかく親が認めてくれた+αの2年間、思いっきり充実させねば!!

就職活動を終えて -1-


就職活動を終えて。
本当に長い時間をかけて、頑張り過ぎってくらいに頑張った。
心配性な性格も相まって、正直なところ必死過ぎた気がする。笑
でもそれらひとつひとつのがんばりが結果に結びついてるのかもしれないから、
無駄なことはひとつもなかったのかもしれない。

振り返れば、大学三年生の頃。
空間デザインの企業で就職活動をするか、美術をもっと勉強するか迷っていて。
そのヒントを得られればと、親に頼んで、東京10日間自分探しの旅(?)をしたことは本当に印象深い想い出。
10
日間の中で、公共空間をデザインする企業に訪問させてもらったり、都内の美術館・ギャラリーを約60箇所まわったり、滞在する神田のウィークリーマンションで観ていたスマステのSMAP20周年記念企画がきっかけで森くんにハマったり(今でも憧れの人物として気持ちは変わらないから凄い)。

結果として、もう2年勉強する道を選んだ。
ただ、学芸員やギャラリストになって美術を極めたいって思いとも違った。
まだ何が本当にやりたいのか、迷いがあるから勉強するっていうある種の逃げだったかもしれない。
その中で、河原町や、紺屋2023、デザイニング展、リノベーションスクールなどのプロジェクトに参加していくうちに、「リノベーション」という空間に関心が強まった。
アートを際立たせる空間として。街づくりの課題解決の空間として。
なぜリノベーションは、デザイン的にも、ツールとしても魅力的なのか。

それからは不動産や建築、都市計画の目線から勉強したい思いが募って今の大学院へ。
だから、就職活動も最初は不動産ディベロッパーや鉄道会社を中心に見ていた。
今まで納得いく道が分からなかった進路先も、ディベならしっくりくると思った。
街づくりがやりたいんだって、一種の思い込みに近かったと今は思う。

夏休みはインターンシップへ。関東の鉄道会社に5日間。
沿線を実際に巡って社員の話聞いてグループワークして、刺激に溢れた日々だったし、関東の学生は新鮮だったし、何よりこれこそ私のやりたい仕事だって思った。
そこで出会った人事の方が、まさかの高校の先輩で、とんでもない縁を感じたりも。
会社が用意してくれたホテルからの風景。


それから10、11月はちょくちょくOB訪問やらで、月1で東京に。
ディベロッパー、不動産関連の会社の先輩ばかりに会って。
皆さんほんとーーーに優しく接してくれたなあ。
私ももし今後声をかけてくれる後輩がいるなら、温かく迎え入れようと思った。


東京の川は汚いけど、こういうジャンクションと組み合わせた風景は好き。
いよいよ12月になって、全国的に就職活動がスタートした時、
バイトの件で精神ぼろぼろだったな。笑
ほんと、なんだったんだろう。私はこれまで、思い切って自分の意志で選択してきたことに後悔したことは殆どなかったけど、あの経験だけは、後悔ばかりが染み付く。
もちろん私のせいで迷惑をかけたのは明白で、就職活動に関する認識の違いを働く前に明確に確認しなかったのが悪かった。
経験してみたい、って軽い気持ちで挑戦するのは、時に危険なのだと知った。
周りのみんなにも沢山相談して、心配かけてしまったなあ。
なんやかんやで、12月は、一度だけ東京に行って合同説明会や社員訪問などを。
合同説明会は今思えば、行かなくても良かったな…。
というのも、不動産・鉄道・ディスプレイ業界のブースばかり見ていて、
後々単独説明会に行った会社ばかり訪問していたから。
合同説明会は、全然興味ない分野のブースに行って見解を広げる目的で行くのがいいのかもしれない。
私はもう少しそれをやってみても良かったかも。
視野を広げすぎるのも研究が浅くなって危険だけど。

1月。やっとの思いでバイトを卒業して。3週間ほど、東京に滞在。
ずっと先輩のお家にお世話になっていて、もう本当に、感謝しきれない!
この頃は1日3件くらい説明会に参加した。
説明会に参加する前の時点で「この会社はないな」って切れなくて、とにかく行きまくったな。多分合計40、50社は行ってる…。
ベンチャー企業も見ていたのがもはや懐かしい。
それもこれも心配性だから。やれるだけやっておかないと気が済まなくて。
心配性というか、自分に自信がなさすぎて。拾ってくれる会社があるのかと。

2月。ESラッシュ。これまた30、40社は出したかな。
ES通過率は高い方だと思うけど、ここはいけるやろ!なんて思ったところから落とされて引きずったりも。
ES地獄がもしかしたら一番きつかったかも。腰まげて。頭カッカして。
2週間くらい福岡でゆっくりできて心底和んだ。
お湯に浸かれる幸せ、ご飯が待っている幸せ、ベッドがふかふかの幸せ。
2月後半からは面接も始まって、いよいよだなって感じがした。
緊張感が高まってきた。

次に続く。

2013年9月10日火曜日

リノベーションスクール。

8月のお盆の時期には、北九州でのリノベーションスクールに参加。
詳細はこちら http://renovationschool.net/kitakyu/ にて。
今回は5回目の開催で、去年の8月に行われた第3回の時には
スクールの受講生側として参加していたけれど、
今回は学生スタッフとして参加しました。
ユニットごとに一つの物件に対して、リノベーションの提案を考え、
最終日にはオーナーに発表するという5日間のイベントです。

この5日間で、エリアの調査からヒアリングを行い、意見交換を詰めて、
収支計画をたてて実現可能性を見込んだ上でのプレゼンである必要があるので、
なかなかハードなスケジュールが求められます。
学生スタッフとしての仕事は運営の手伝いや、ユニットの議事録作成。

ユニットのメンバーが話し合う様子。真剣な空気が流れます。


 フィールドワークがてらお昼ご飯。
スタッフは赤いTシャツを着ます。街を歩いていると目立つ…。
最終日の前日はみんなで徹夜でプレゼンの準備をしたり。
私もその頃には意見も出しつつ、資料作成などに勤しみました。
正直なところ、学生スタッフという立場で
どこまで密接にユニットに関わっていいのか最初の頃は探り探りで、
意見を言いたい時もぐっとこらえた場面なんかもあったのですが、
最終的には少しといえどユニットに貢献できました。
最終日には完成度の高いプレゼンを行うことができ、
みんなで酒を浴び(?)、盛大に打ち上げながらも
達成感に涙ぐむような場面もありました。

学生スタッフという一歩引いた目線からこの5日間を振り返ると、
リノベーションを事業化する為の一連の流れを体験できたことや、
斬新なアイディアだけではなく実現可能性を詰める為に
徹底した調査などの根気のいる作業が重要となってくること、
またリノベーションにはオーナーの理解が最大の要件であること、
様々な職種の人が集まって一つの物件に対して考えを巡らせることの
面白さと難しさ、などなど、沢山のことを学ぶことができました。
ここでの出会いは大切にしたいです。
自分が仕事としてどういうことをしたいのかも、
今まで以上に鮮明としてきたような気がします。

院生の夏休み、久々の東京一人旅。

院生となって初めての夏休み。

まずは7月末、インターンシップの面接で東京に行った時、
今まで行ったことのない街をまた歩いてみました。
東京一人旅は約一年一ヶ月ぶり。
東京には2ヶ月に1回くらいのペースで行っていたけれど
久々の一人旅ということでずっと関心のあったところを回りました。

例えば、「2k540 AKI-OKA ARTISAN」。
JR秋葉原駅と御徒町駅を繋ぐ高架下にオープンした施設です。

 このエリアは元々職人の街として機能していて、その文脈を活かし、
ものづくりを行う、技術を持った人々のショップを集積させています。
実際に、職人が手仕事で何かを作っている様子がショーウィンドウから伺えたり。
こんな休憩所もあり、海外からの観光客もちらほら見えました。
真っ白な空間がとても印象的。
高架下ならではの陰湿とした雰囲気はいっさい感じさせません。

そこから徒歩圏内にある、3331Arts Chiyodaにも。
ここに来るのは何回目だろうか。
 1階のスペースでちょっと休憩。
かつての学校としての趣を存分に残しています。

ちょうど、ポストペットの生みの親としても有名な八谷和彦の
個展「OpenSky3.0—欲しかった飛行機、作ってみた—」
が行われていたので、ふらっと入ってみました。
オープンスカイプロジェクトとは、「風の谷のナウシカ」に登場する
「メーヴェ」を実際に発明・制作してみようというプロジェクト。
失敗を重ねながらも、やっとの想いで空を飛ぶことに成功した映像には、
少し感動しました。
実際にメーヴェに乗った気分を味わえるシュミレーターもあったけど、
一人で機体にまたがる勇気がなかった…こういうところだよな…
松屋やすき家や吉野家や王将やなか卯には余裕で一人で入れるのに。

それから、何気に行ったことのなかった代官山へ。
念願の代官山蔦屋書店!
 外観も内装も近隣の風景もすべてオサレ。
 セレブ達が散歩をしている様子。
本がぎっしり。他の店舗ではあまり見られないような個性的な本があったり、
洋書が多かったり、本のセレクトまでオサレ。

というか、代官山の街並みのお洒落さには衝撃を受けました。
 何かこの区画の外観を統一するような条例でもあるのかな?
それくらい一体として洗練された街並。
 イルミネーションも綺麗でした。

翌日は面接の後、ふらっと蔵前へ。
空きビルの再生で話題となった神田周辺のCETエリアから、
最近はこの蔵前周辺がリノベーションのまちとして注目されています。

東京の東側から新しいカルチャーを発信するプロジェクト、
「EAST PROJECT」の第一弾として2011年にオープンした
複合商業施設「Mirror」には、レストランやギャラリー、オフィスが入居しています。
 中のレストランからは隅田川が見渡せます。
隅田川沿いの立地を最大限に活かしていて、窓側の席は予約で満席でした。
そんなこんなで、飛行機に乗り帰宅。
まだまだ知らない街や行ったことない施設が沢山あって、
東京には何回行っても行き足りない。
ただ、こういう何かしら特別な関心を持たない人にとっては
浅草やお台場や六本木ヒルズや築地といった超定番スポットと
渋谷原宿あるいは新宿なんかのショッピングを楽しんだだけで
満足するというか、他に見るもんないなーって思ってしまうのかな。
それは極端な話だろうけど、色んな街をふらふら歩くだけでも
こんなに楽しめるのだから、東京はおもしろいなーとつくづく思うのです。

現状。

久々の投稿になります。
昨年の10月から更新していないのか…!
前回の東京一人旅は、院試前に、自分の研究や興味の矛先を
再確認するために色んなまちを巡り回ったのでしたね。
その後、「リノベーションとまちづくり」を観点に院試を受け、
一つの物件の再生から街の活性化へと繋がるプロセスについて
研究したいと意思表示したものの、一年後の今、
研究内容については未だブレブレな私です。
ほんと、常日頃ああでもない、こうでもない、と
考えを巡らせているのだけど、一点には落ち着かず、焦ってます。
というのも、リノベーションが点から面に繋がるプロセスって、
要は人が重要であって、
一つの物件に、よそから人を集めるだけの吸引力をもった人が入って、
アパレルショップなりカフェなりホステルなりを運営し始めて、
その人の知り合いや、その人の取り組みに共感する人たちが
少しずつ集まって、点々と面白い店が増えて、その街が変貌し始める。
その吸引力を持った人が最初にその物件を選んだ理由としては、
安い賃金で好きなように建物をカスタマイズできることであったり、
天神などの中心部からは少し離れているけどアクセスの悪くない場所であったり、
間取りやファザードでなんとなく物件に魅力を感じたからであったり…
もちろんケースバイケースだけど、
こういう動きが東京や福岡に限らず全国で広まってきている。
福岡で言うと、たとえば七隈線に駅がある鳥飼。

お洒落なショップが点々とあり、「鳥飼MAP」なるものを
フランス雑貨店をこのエリアで運営する女性の方がつくっていて、
点々とあるお店を回りながら「まちあるき」ができることを発信している。
互いのお店にDMを置き合ったり、お店同士の連携も見られた。
何人かの店主に話しかけてお話を伺ったけど、
このエリアはここ3年くらいで個性的なショップが一気に増えたそう。
きっかけとなったキーマンは、おそらくあるカフェの店主。
福岡のリノベーションエリアといえば、まずここが挙げられるでしょう。

あとは、長浜横丁。大濠公園や赤坂の周辺にあり、天神からも徒歩圏内。
アパートの吹き抜け空間に軒並みお店が並んでいます。

もともと昔からの古いお店が並んでいて、有名な「たつみ寿司」があることで
サラリーマンの行き来も頻繁に見られるこの通りに、
多くの常連を抱えるメンズのアパレルショップが開いて、
その店主の知り合いの方がまたこの通りにお店を出して、
カフェ・バーもできて…という流れ。
この個性的な空間には、東京から来た人もびっくりするそう。

あとは、御供所通り。博多駅から徒歩圏内。
ポツポツと、リノベーション物件が増えはじめている。
ただ、鳥飼ほどの活気は見られなかったかな…。
 それから清川。ここもあまりエリアとしてリノベーションの潮流が
来ている印象は受けなかったけれど、「Lassic」という
一棟まるごとリノベーションした複合施設の存在感は強かった。
最後に、美野島。まだ行けてないのだけど、
古い街並の残るエリアで、最近カフェ・バーを備えたホステルができて、
今後エリアならではの資源を活かしながら
街が変わっていく可能性を孕んでいるみたいです。

こんな感じで、福岡でもこんなに面白いエリアが存在していたとは
全く知らなかった私ですが、東京の神田の例や今注目されている蔵前と
重なるような部分を強く感じ、
“古い建物を活用した新しい動き”は確かに時代を創り始めているようです。
ただ、これを研究するとなると、どうなる…?!
面的に広がっていくプロセスは人の存在ありきだし、
どういう物件がリノベーションに選ばれるかといえば
建物のポテンシャルをどう見抜くかという観点もあるけど
結局はオーナーに意思があるかどうかだし…むずかしい。
東京の事例と福岡の事例を比較できればとは考えているけれど。

そして更なる関心の矛先としては、福岡の再開発について。
博多駅に隣接する郵便局を大規模小規模施設へと建て替える計画が進み、
明治通りや国体道路はビルの老朽化から建て替えが検討されており、
港の方は規制緩和で今後商業施設が開発される見込みで、
また七隈線の延線計画や西鉄福岡駅のリニューアル、
天神のソラリアを始めとする商業施設の大幅改装などなど…
正直、こうした大きな動きの方が気になる。とても気になる。
福岡は変動期にあるんだなと日々更新されるニュースを見ながら思う。
そして、東京オリンピックの開催決定。
建て替えはどんどん進んでいく。不動産バブルは延命されていく。
リノベーションの考え方は、住宅ではかなり注目されているけれど、
オフィスや大規模な商業施設でいうとまだ事例も少なく、
あるいはオリンピックの為の招致施設の建設では検討にもいれられないだろう。
建て替えは場合によって必要だと思うけど、
古い建物ならではの魅力をないがしろにしてはいけないとも思う。
リノベーションを行う意義としては、築年数を重ねた不動産でも
これまで蓄積されてきたまちの資産価値や文脈
(伝統や生活に溶け込んだ文化的意味合いなど)を尊重して、
そこに新たなコンセプトや付加価値を持たせながら将来へ
大切に継承していくことで、まちや都市としての魅力の向上に繋げること。
他にも環境への配慮や経済面での合理性も挙げられる。
東京の発展をアピールするためにも高層ビルの更新は必要だろうけど、
残すべき建築は残すべきだと思うのです。
そう考えると、東京駅の改修や丸の内の「KITTE」はとても共感できる。
ただ、これらは文化財とまではいえないのだろうけど、
ここまでの歴史性を孕んでいないと建て替えは逃れられないのかなあと…。
うーん。何が残すべきでなにが建て替えられてもヨシなのかは
自分の中でひとつの軸を持っておかないと論文にはできないだろうな。
そして、東京でも福岡でも建て替えがこれから積極的に行われるのならば、
現代のニーズに沿った新しいスペースの創出をしてほしい。
それについては、今後また考えを述べていきたいと思います。

知識も浅いので、このブログを見た人は所々おかしいな、と
思われる節もあるかと思われますが、その際はどうかご教授くださいませ。